2015/04/11

置き去りのスマートフォン

毎朝 電車に30分くらい揺られて出勤する。その間、本を読んだりポッドキャストを聞いてる。通勤特急や急行には乗らず各停に乗る。各停だと通勤特急の倍時間がかかるけどそれでもかまわない。理由は単純で、座れるから。あと、同乗者も基本的に時間に余裕のある人だろうからへたなトラブルに巻き込まれることが少ない気がする。急行とかやっぱ急いでる人が多くて無駄にぶつかられたりするのが嫌だし。

先日、いつもと同じように各停に乗った。特急と急行の2本に追い抜かされるその各停電車は、格段に乗客が少なかった。自分は一番後ろから2両目で座席の端っこに座っていた。自分の座席の列には逆の端にひとり、向かいの座席にはちょうど目の前に大学生くらいの男子が座っていた。同じ車両には全部で5, 6人しか乗客がいないような状況だった。

ある駅で停まったとき、目の前の男子が車両を降りた。すぐにドアが閉まったら、彼はスマホを置き忘れていた。シートにぽつんと、たぶんケツポケから取り残されたスマートフォンが置き去りになっていた。彼がそれに気づいたかどうかもわからない間に電車は走り出してしまって、スマホは完全に主をなくした。

あ、っと思って拾って届けなきゃ、と思ったのだけど、いまここで拾ってどこにとどけるんだろうと思った。ここは一番後ろから2両目で、車掌さんがいる一番前まで持って行くのは遠いし、とにもかくにも駅の落し物に届けるか、でもなんか拾って持ってる間にぱくったとか思われると対応めんどいなとかも思って、閑散とした車両だし、観察するか、という結論になった。変なやつが拾いそうになったら「それ落し物ですよ」って言おう。それだ。脳内で指摘するシュミレーションまで完了済み。でも現実には放置だけど。

さて、我ながらずいぶん消極的な選択肢を選んでしまった気がするが、まあ特に何が起こるわけもなく3駅くらい過ぎたとこで、見たところ60才前後のおばちゃん二人が乗車してきた。通学通勤とは明らかに違ったテンションの高さで、今日は一日楽しいことしかないという雰囲気のおばちゃん。すぐにスマホに気づいた。どうするかなと思った。おばちゃん、人生経験豊富だろうしね。ふたりだし、拾って届けるかなと。

そうしたら、2秒でスルーした。スマホを見て「あらいやだ」とひとこと言ったら、座席を三つあけたところに座って、もうそのスマホはこの世に存在しない感じで二人の世界に戻った。ちょっとびっくりした。自分的にはすぐ拾われてスマホが車掌か駅員に渡されることを期待したが、そうは転ばなかった。一瞬で置き去りにされて。スマホ、かわいそうだった。まあ、自分も拾ってないし、同類なんだけど。

とはいえ、事態はなにも変わらず、目の前のシートにスマホが置き去りのまま。やばいやつが拾いそうになったら「それ落し物ですよ」と、ワーストケースだけ想定して観察を続けた。ついでに、そろそろ渋谷だから、さすがにそこまでいったら拾って届けるか、と決意した。

その後、次の駅でも人は乗ってこず、さらに次の駅でも誰も乗ってこなかった。牧歌的な車両の中でスマホはずっと取り残されていて、少し離れたところでおばちゃんはにこやかに何かを話し続けている。車窓には満開の桜が時々見える。スマホが取り残されても車両は進む。

そうこうしている間に、しれっと隣の車両からお母さんと3歳くらいの娘の二人組が入ってきた。お母さん、速攻でスマホに気づいて立ち止まった。「あ、これどうしたんだろうね」って小さな声で娘に言ったあと、一瞬間があって、少し声を強めて「届けないとね」って。

さっと、スマホを拾って、少し早足で、うしろを娘はついていった。

自分も拾わなかったし、二人組のおばちゃんも拾わなかった。同じ車両にいたあと数人のうち、何人かはもしかしたら気づいていたかもしれないけどやっぱり拾わなかった。誰もが消極的なジャッジしかしてなかったんだけど、ブレークスルーしたのは子連れの母だった。スマホに気づいたあと、拾うまでの一瞬に、正義感が勝ったんだと思う。肯定されるべきは正義だって。本当のところはどうかわからないけど、たまたま自分にはそういうストーリーに見えて、ああ、なんて哀れな自分、なぜ消極的な方に転んでしまったのか、とかなんかそういう感情が思い浮かんで仕方がなかった、というある朝の出来事。

正義とスマホは大事にしないとだ。

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